Joi散歩 ~愛西市勝幡周辺~
今回のお散歩エリアは愛西市のこちらです♪
春ですね~
今回は愛西市相ノ川の桜を見に行ってみました。ぽかぽか陽気の午後でしたが、この時期当然、人通りもまばらでした。外出もままならない昨今の日常を忘れ、美しい桜に心癒やされました。
そして今回のお散歩でまた城趾を1つご紹介します。相ノ川の近く勝幡です。先ずは名鉄勝幡駅へ
なんと駅のロータリーにお父さん(織田信秀)とお母さん(土田御前)に抱かれた赤ちゃんの信長の銅像があるのです。愛西市勝幡は織田信長の生誕の地の1つとされています。勝幡城趾のある場所は愛西市と稲沢市に広がっていたため住所は稲沢市平和町になります。駅前には銅像だけでなく勝幡城のジオラマだったりモザイク画などもあったりしてとても斬新です。そして信長の像は数ありますが勝幡の信長像は最年少みたいです。吉法師は信長の幼名ですね。
織田信長が生誕したとされる勝幡城は城といっても天守閣を持つ城ではなく、館のまわりを堀などで囲ったものでした。城の近くには日光川が流れています。
「織田弾正忠平朝臣信定古城蹟」の石碑。織田弾正忠平朝臣信定というのは信長の祖父のことです。勝幡城を築城したといわれる人物です。
勝幡は、元々「塩畑(しおばた)」と呼ばれていましたが、縁起が悪いという理由で織田信定または信秀つまりおじいちゃんかお父さんのどちらかが「勝ち旗」の意で「勝幡」と改名したといわれています。
津島,勝幡(愛西市),木田・甚目寺(あま市),新川(清須市),名古屋を結ぶ街道を津島上街道といいます。津島上街道沿いには「右なごや」「左つしま」などの石の道標があちらこちらに残っています。この道標は住宅の前に解説板とともに建っています。住宅地の中に今も街道の往来の面影が残されています。
勝幡神社は下記のようないわれがあり毎年3月にお祭りが開催されているようです。
相ノ川の桜並木からすぐのところに奥津神社があります。この神社は実は古墳らしいのです。4世紀中頃に築造された古墳で、古鏡(三角縁神獣鏡)が3面(昭和52年県文化財指定)のほか、弥生時代後期土器、古式土師器も出土しているそうです。
日光川を渡り藤浪駅周辺に行くと津田正生宅趾碑、釜地蔵寺、巡見橋などの史跡もあります。津田正生は根高で生まれ儒学を学び和漢の勉学に励んだ学者です。「尾張地名考」という著書が有名だそうです。墓所は釜地蔵寺内にあり、住居跡碑が釜地蔵寺前の民家の庭先に置かれています。また、釜地蔵寺にある本尊の鋳鉄地蔵菩薩立像は江戸時代の作で、県指定文化財に指定されています。釜地蔵の伝説・継子いじめでいじめられた子どもの身代わりになったといわれる地蔵の昔話が有名です。
今回もまた、沢山の史跡などに触れ、驚きと感慨にふけるのでした・・・(^_^)
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そして最後に、以前ご紹介していた蟹江町尾張温泉の桜並木も満開でしたよ(*^_^*)